島田兵四郎 交戦中の敵城突破

徳川秀忠が西軍についた真田昌幸の篭る上田城に前進を阻まれていた時、秀忠は冠が岳にいる先陣の石川玄蕃、日根野徳太郎に連絡する必要に迫られ、島田兵四郎という者を伝令として出した。兵四郎は地理がよくわからなかったうえ、上田城を避けて迂回していたのでは時間がかかりすぎると思い、なんと上田城大手門前に堂々と馬を走らせ、城の番兵に向かって「私は江戸中納言(=秀忠)の家来の島田兵四郎という者。君命を帯びて、我が先陣の冠が岳まで連絡にいくところです。急ぎますので、どうか城内を通してくだされ」と叫んだ。味方に連絡するために、現在交戦中の敵城を通してくれ、というのだから、とんでもない話である。番兵たちもあまりのことに仰天してしまい、真田昌幸に報告すると、「なんと肝っ玉の太い武士だろう。通してやらねばこちらの料簡の狭さになる。門を開けてやれ」と門を開けるように指示した。「かたじけない」と城内を駆け抜け裏門を抜ける際、島田兵四郎はちゃっかりと「帰りももう一度来ますので、また通してくだされ」と言った。その言葉通り、再び島田兵四郎が帰りに城に立ち寄った時、真田昌幸はいたく感服し、兵四郎に会い、「そなたは城内を通過したので、我が城内の様子を見ただろう。しかし様々な備えはあれど、それは城の本当の守りではない。真の守りは、城の大将の心の中にあるのだ」と、自ら直々に案内して城内を詳しく見せてやり、その後門を開けて帰してやったという[74]。