100億円を寄付した永守重信の「壮大な構想」

100億円を寄付した永守重信の「壮大な構想」


すごい・・・・・・・・・


左から、門川大作 京都市長、田辺親男 京都学園理事長、永守重信 永守財団理事長、山田啓二 京都府知事。

日本人長者番付12位、総資産額は35億ドル(約3890億円)。2017年、米フォーブスが発表したランキングに登場したのが、日本電産創業者で会長兼社長の永守重信である。

【日本長者番付のランキング2017】

その一方で、「贅沢にはまったく興味がありません」と言い、歯ブラシは「出張先のホテルから持ち帰り」、ティッシュペーパーは「銀行が配っているものを使う」と公言する永守が、17年3月、京都学園大学の工学部新設構想のため、個人として100億円以上の寄付を発表した。18年春には同大学の理事長に就任予定だ。

永守は記者会見で、「税金はどう使われるかわからないが、寄付なら使い道がはっきりする」と全財産を使う構想まで話した。

14年に私財を投じて「永守財団」を設立し、モーターの研究者を支援する「永守賞」を創設。また、同年、京都府立医科大学にがん治療のための陽子線治療施設の新設などに、70億円の寄付を行っている。なぜ大胆にも巨額な私財を寄付するのかと問うと、壮大な構想と、彼なりの哲学と思考法について語り始めた。

—今年に入り、日本電産として京都大学に2億円超の寄附講座の開設、そして京都学園大学には100億円以上の私財を寄付すると発表しました。こうした行動の理由は?

永守:自分が描いている大きな構想にすべてつながっていることですが、まず前提にあるのは10年先20年先に起きるリスクです。私は長期的に将来どういうリスクが起きるかを常に考えて会社経営をしてきました。日本電産はモーターで世界トップメーカーになり、今後もEV(電気自動車)、ドローン、ロボットなど、ますます生活の中にモーターが増えてきます。にもかかわらず、モーターの研究者は世界的に激減しています。

理由は、理工学部に進学する若者が人工知能(AI)やソフトウェアなど華々しいところに進むようになったからです。学生たちは、モーターがEV、ドローン、ロボットなど未来の産業をつくるものだとは思っていません。教育はタイムラグがあるため、モーターのように一度人気が落ちたら、教える先生も減り、すぐに復活はできないのです。

日本電産では17年、新卒を約350人採用しましたが、20年には1000人を採用する必要があります。今年採用した者のうち8割は技術系ですが、モーターの研究者はほぼゼロ。社内で半年から1年かけて基本を教えてから現場に回しています。これは大変なことなんです。

—発端は危機感にある、と。

永守:そうです。永守財団をつくったのも、モーターの研究者を顕彰しなければと思ったからです。まずは「永守賞」を創設し、次に、助教や准教授が一番困っているのが研究費だとわかり、助成金を出すことにしました。

そして、今度は「2018年問題」。18歳人口が18年から減少し始め、大学経営は成り立たなくなり、大卒者も激減するといいます。自ら世界に通用する工科大学をつくろうと思いましたが、新設大学の認可は極めて難しい。そんな折、京都学園大学の理事長が私のところに話を持ち込んでこられました。それで20年に京都学園大学に工学部および大学院工学研究科を新設する構想を進めることになったのです。

私が「東大と京大を抜く大学をつくる」と言うと、新聞記者は「そんなこと、できるんですか?」と言いますが、なにも東大や京大のような総合大学をつくるわけではありません。一つの尖がった世界で通用する大学をつくる。簿記、バランスシート、英語、生産技術。そういったことがわかる即戦力の実務家を輩出したい。

「それは職業訓練大学じゃないですか」と言われるけれど、私は「そうだ」と答えています。新聞記者は「それはわかりましたが、大学をつくるのはそう簡単じゃない」と言います。では、1973年に私が自宅の納屋で創業した会社が、世界一のモーター会社になったことをどう説明するんだと問うのです。

—10年先20年先のリスクを常に考えているという点について、具体的に教えてください。

永守:84年からモーターの会社を中心に企業買収を続けてきました。なぜ買収するかというと、将来的にはモーターの需要が爆発的に増えてモーターが不足し、枯渇すると思うからです。モーター単体だけではなく、モジュール化に必要な関連企業も買収してきました。一方で、売却する方は経営的な問題があったり、「もうモーターは先細りになる」と思い込んだりしている。考え方が私と逆なのです。

私が中学2年のときに亡くなった父親は、死ぬ前にこう言っていました。「これからは電気の時代だ。中学を出たら、電気店で修業して手に職をつけるんだ」と。でも、28歳で起業するとき、モーターの会社をつくると大学の恩師に報告したら、「永守くん、モーターはダメだ。競争が激しいぞ」と諭されました。

すべては「ソリューション」

確かに、日立や東芝など大企業が競合する世界でした。でも、私は先生にこう言いました。「いま日本の家庭には一軒あたり平均3.5個のモーターしかありませんが、先日アメリカに行ったら、一家に平均60個のモーターがありました。いずれ日本もアメリカのようになります」と。

 

日本が急速に発展するという私の主張に対して、恩師は「いや、日本がアメリカの生活水準になるには100年かかる」と反論しました。しかし、当たっていませんね(笑)。

いま日本の家庭には平均150個。アメリカが平均300個で、中国全土の平均が3.5個。中国はもっと増えていきます。だから、モーターが足りなくなるという危機意識があるのです。

日本電産はPCのHDD(ハードディスク駆動装置)用の精密モーターを主力とした時代を経て、家電用の大型モーター、車載用モーター、多関節の産業用ロボットで基幹部品となる減速機など、積極的なM&A(合併・買収)で多角化してきました。産業の未来像が早くから見えていたということですか?

永守:52社を買収して、すべて黒字化に成功しています。買収時は「なぜこの会社を買うのか?」とよく聞かれますが、先に全体像があり、買収でジグソーパズルのピースを1つずつ埋めていっているのです。ロボット、EV、自動車のADAS(先進運転支援システム)、ドローンなどの時代が来ると思ったとき、それらに使用される莫大な数のモーターを誰が供給するんだ、ということです。

—なぜ、90年前後にEVが今のように一般化すると思えたのですか?

永守:それは地球環境問題です。ガソリンエンジンは大気汚染につながるので、EVに代わっていくと思いました。自動車産業がEVに進むのであれば、これまでの自動車とは違う技術なので、我々が参入しても競争相手はいない。当時、車は必ずEVになると思ったけれど、私の予想より実際は遅れました。ハイブリッドに寄り道しましたからね。

また、EVと同時に自動車の衝突回避システムが進化して「ぶつからない車」が増えてきました。ぶつからないということはボディの鉄板が薄くなり、溶接で車をつくる必要がなくなる。プレス機一発でボディができるようになる。それだけ大型で高精度のプレス機器メーカーは世界に2社しかない。そこで、そのうちの1社を2年前に買ったのです。

当然、相手の技術力を見て買うのですが、ポイントはシナジー(相乗効果)を自分の方法でつくり出すこと。パズルの穴を埋めるため、常にどうやったら埋まるかを考える。相乗効果は偶然に生まれるものではなく、頭に描いた構図に向かって努力していかないと生まれません。それには、具体的な目標を立て、明確な戦略でつなげること。そうすれば、買った方も買われた方もお互いが良くなって成長できるのです。

—未来像を描く原点は何ですか?

永守:ソリューションです。絶えず私が考えているのは、ソリューション。私が幼いころ、母親が冷たい井戸水を桶に入れて私の下着を洗っていた。母親の手はあかぎれだらけで血が出ているわけです。辛い仕事だと思っていたら、洗濯機が登場しました。風鈴だけで夏は過ごせなくなりましたが、エアコンが普及しました。すべてソリューションじゃないですか。

世の中を見渡すと、宅配便の運転手が足りない。いずれ高速道路を自動運転のトラックが走るようになるでしょう。また、私は「マイドローン」の時代が来て、人間が飛ぶようになると思います。そう言うと、みんな「そんなバカな」とひっくり返りますが、自動運転と言っている時代に、満員電車でひいひい言いながら出社している。朝は道路も混んでいるし、だったらそのソリューションとして、ドローンで人が飛ぶ時代にもなるでしょう。だから、早くから日本電産ではドローンの研究をしてきました。

また、小児がんのお子さんたちがずいぶん困っておられると聞いて、京都府立医科大学に70億円の寄付をさせてもらい、「永守記念最先端がん治療研究センター」を建設中です。これも一つのソリューションです。

子孫にお金を残すのではなくて、世界に大きな事業を残す。そのためにお金を使う。事業も医療も学校も、私の人生はすべてソリューションなんです。

「毎日、時間通りに動く」

—起業家を紹介する79年の古い雑誌の記事に、34歳の永守さんのことがこう書かれていました。「その計画性は、同社長の自宅に貼ってある大きな張り紙を見ると、ひと目でわかる。20歳代から75歳を過ぎるまでの自分の人生設計と、会社の規模、事業計画まで書き込んである」。当時から現在のことを計画していたんですか。

永守:張り紙にはもっと具体的に書いていて、「〇〇社を抜く」と書いて、実際に売り上げを抜いたら赤線を引っ張って消しました。それで「次は▽▽社を抜くぞ」と宣言します。そうやってどんどん抜いていきました。私は2030年までに10兆円企業をつくって、その後は人の教育をやろうと決めていたんです。

昔からこうした計画を立てて、さらに、日々、手帳には前の晩に「明日やること」を20~30項目書きます。そのメモを順番に消していって一日が終わります。出張に行っても、ホテルに着いたら明日の計画を手帳に書き込みます。何時に食事をして、何時に運動するなど全部です。そしてその通りピシッとやります。

—土日も?

永守:もちろん。創業以来、毎日。私は時間通りに動きます。休みだからと昼寝などは、しないのです。人は「そんな人生、面白いのか」と言いますが、だからこそ面白いのです。その日によって気持ちが変わるとかは、ありません。人生の目標があり、実現したいことに向かって動き、その目標が達成されるから、また次の目標が出てくるのです。

ただ、私は会社を1兆円企業にするまでに41年かかりましたが、今であれば20年でできると思います。昔は大企業中心の系列取引だったのでモーターは簡単に売れませんでした。でも、今は自由競争だし、世界にも出ていけるし、お金も借りやすい。昔のように全員が「出世したい」という激しい競争があるわけでもない。条件は整っているのだから、あとは自分の頑張りようと執念なんです。

—目標実現に向けて、どうやって人を巻き込んでいくのですか?

永守:カラスが鳴かない日はあっても、私が面接しない日はないくらいでした。昔は、飛行機に乗ったら、隣の人に名刺を渡して、「お仕事、何をされています?」と聞き、ニューヨークに到着するころには「うちに来ませんか?」と誘っている。そうやって何人もの人が入社しました。

また、シャープ、東芝、少し前はソニーパナソニック三洋電機を退職した人材を大量に採用しました。大企業の基礎研究所にいた人たちもそうです。

 

どうやって口説くのか? 夢を語るのです。大きな夢を実現するための情熱を語る。誰しも夢を実現したいと思っているのだけど、そのチャンスがないから大企業に入ったわけでしょう。でも、私の過去を見たらわかる通り、どの夢も実現させてきた。今の目標は日本電産を10兆円企業にして、世界に大きな事業を残すことです。

永守重信◎永守財団理事長。日本電産会長兼社長。1944年、京都府生まれ。67年、職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)電気科卒業。73年、日本電産を設立し、社長に就任。2014年からは会長を兼務。同年、永守財団を設立し、「永守賞」を創設。画期的な技術開発をしたモーター研究者を顕彰している。