できる限りモノを持たないほうが幸せ!?「ミニマリスト」という生き方
◆人口減少社会では、消費拡大社会とは反対の行動が必要
『楽しい縮小社会』著者の松久寛氏によると、日本最大の広告代理店・電通のグループ会社である電通PRは1970年代、「戦略十訓」として以下のようなことを掲げていたという。
「もっと使わせろ/捨てさせろ/無駄遣いさせろ/季節を忘れさせろ/贈り物をさせろ/組み合わせで買わせろ/きっかけを投じろ/流行遅れにさせろ/気楽に買わせろ/混乱を作り出せ」
私たちは無意識の間に「消費」という罠に踊らされ、脅されてきたわけだ。しかしこれは日本経済が上向きで、消費がどんどん拡大していった時代の話。現在は使われていないらしい。
そこで、松久氏は「人口減少の社会ではその反対をすればいい」と、以下のような行動を提案する。
「できるだけ使わない/捨てない/無駄遣いはしない/季節に応じた暮らしをする/贈り物はしない/セットでは買わない/きっかけに踊らされない/流行は気にしない/衝動買いはしない」
◆消費を拡大しつづける生き方に飽きた人が増えている
哲学者の内山節氏は、「消費を拡大しつづける生き方に飽きてしまったのである。おそらく、これから賃金上昇がもたらされたとしても、さほど消費は拡大しないだろう。なぜならそういう生き方に飽きた人たちがふえつづけているからである」という。
確かにそうだ。
「友人との語らいを大切にする」「味噌作りや家のリフォームなどを自分たちでする」「小さな農地で食べ物の一部を自給する」「有益なソーシャルビジネスを起こす」「地域づくりに参加する」「地方に移住する」「場所にとらわれずに働いて暮らす」。
そんな行動や生き方が増え、ますます注目を集めるようになっている。シェアハウスやシェアカーもここ数年で定着してきた。
「ミニマリスト」という言葉も認知されつつある。
「できる限りモノを持たない生き方こそ幸せだ」という価値観がミニマリストである。それはこの国にかつて根づいていた禅の思想や仏教的哲学とも通じるものがある。
◆もう現代の経済システムでは、経済成長はできない
『日経ビジネス』の7月31日号では、「消費多様化の終わり」と題した特集を組んでいる。
それによると「消費者は疲れている」というのだ。同誌によれば、例えばアパレルの国内市場規模は1991年から2013 年の間に3分の2に落ちているのに、商品供給量は倍増。結果として、購入単価は約半分にまで落ちたという。
デフレの正体はここにある。消費する人が減っているのに、企業はたくさん作る。すると売り上げという少ないパイを奪い合うことになる。だから値段を下げて販売せざるをえず、デフレに向かう。
日銀がいくら「インフレ目標2%」などを掲げて莫大なお金を市場に流したところで、インフレにはならない。目標達成の時期をすでに6回も延期しているが、永遠に到達はしないだろう。
もう現代の経済システムでは、経済成長はできない。無理に経済成長をしようとするほど負け組が増え、一部の勝ち組だけが潤い、格差が拡大するだけだ。
「モノを買わない、モノを持たない」という新しい世代の登場と新しい価値観の登場。それは人類がこの星で生き延びてゆくために必然で、正しく楽しい選択なのだ。
◆“楽しさの自給率”を上げよう
価値観の変化を認められない上の世代から“異邦人”扱いされる「ゆとり世代」「さとり世代」「ミレニアルズ」「ダウンシフターズ」「ミニマリスト」「シンプル族」と呼ばれる人々は、「より少なく」「量より質」「よりシンプルに」「よりエコロジカルに」「より持続可能に」「社会に役立つように」といった志向を持つ。やっと人間本来の姿に立ち戻れてきたのだ。それは喜ばしいことではないだろうか。
消費は「長らく低迷している」のではない。戦後の大量消費/大量生産こそが異常だったのであって、消費に疲れ、消費に飽きる人のほうがマトモだと言えるだろう。
コミュニティデザインをナリワイとする山崎亮氏は「“楽しさの自給率”を上げよう」と言う。
「どこかに行ってお金を使って誰かに楽しませてもらうだけでなく、自分たちで楽しみを作り出す力を高めてゆくことが大事」と。
今後ますます、お金を遣わないと暮らせない・楽しめない人は、空虚でつまらない人生を送る時代に突入する。このまま「The 消費者」として踊らされ、搾取され続けていていいのだろうか。
明日からでも遅くはない。消費から少しずつ卒業し、楽しさの自給を少しずつ始めてみよう。